赤かべ鍼灸院の歴史
今から200年前、鳥取に木村宗吉という人がおりました。宗吉は体の弱い娘ツルのためにお大師様にお百度参りをしていました。その満願の日に見たお告げの通り灸をすえると、ツルはみるみる元気になりました。その灸の形は九燿星と同じ形だったので、九燿の灸と名づけられました。
ツルは灸に感謝し、灸で人助けをしようと大阪の北浜のなにわ橋付近に施術所を開設し、結界の意味もこめて、赤い壁を張り巡らしていたので赤壁という名前がつきました。ツルは隣りにすんでいた古野 田鶴という女性と親しくなり、養女としました。田鶴はツルより灸を習得しまして、田鶴の代には九燿の灸によって患者は増え続け、1日数百人が来院するようになりました。
太平洋戦争で患者も殆どいなくなりましたが、田鶴の一人娘の富美子は赤壁を守り通し、戦後いち早くなにわ橋の場所に看板を掲げました。その後、富美子の四女 有馬靖子が昭和28年に西宮北口で5代目を受け継ぎました。
九燿の灸は今日も当鍼灸院にて伝承され続けています。